凧揚げは平和の象徴
「凧揚げは平和の象徴なんですよ」。戦前から変わりゆく相模原を見続けてきた石川さんの言葉には、深い思いがこめられている。相模の大凧文化保存会(以下、保存会)で会長を務める石川さんは、長年にわたって大凧文化の保存・継承に力を尽くしてきた方だ。石川さんによると、昔から大凧は地元の生活に欠かせない存在だったという。「私が小学生の頃は、いい春風が吹いて太鼓が鳴ると大人は農具を放り出し、子どもは学校を飛び出して、皆で田んぼの中で凧揚げしていたものですよ」。相模の大凧は、江戸時代に地主が小作人のために娯楽として行ったのが始まりで、田植えを共同で行う若者たちの絆を深める行事でもあったらしい。保存会は「先輩と後輩の結びつきが強い」というのは、その流れかもしれない。だがこの伝統ある祭りも、1955年頃には青年団の人数が激減し、一時存亡の危機を迎えたそうだ。「4地区で開催していたものを1つに統合し、4年ごとの開催にしたため、技術の継承が難しくなったんです。戦争で中断してしまったのも大きかった」。のどかだった相模原に爆撃機が飛んで焼夷弾が落ちた頃のことは、石川さんにとって忘れられない記憶だ。それでも戦後、大凧の復興は意外に早かったという。「上の世代のリーダーたちが、各地区で復興に尽力してくれたおかげで、1975年頃には毎年開催できるようになったんです」。こうした先人たちの努力があって、「相模の大凧まつり」は現在のような盛大な祭りになったのだ。
皆が心を一つにしないと凧は揚がらない
人気の高まりからか、最近では保存会に参加する若者も増えているという。「保存会で毎年小学校にボランティアで凧揚げを教えに行くのですが、それで興味を持ってくれた子も多いようです」。このボランティア精神や自立心が強いのは、相模原市民の特長かもしれないと石川さん。「何でも自分たちでやっちゃうんですよ。保存会で使う新戸スポーツ広場も皆で草刈りして作ったものですしね」。石川さんたちのこの心意気が、竹を切って14・5メートルもの大凧を作るという大仕事を、毎年成功させているのだろう。「でも何より、皆が心を一つにしないと凧は揚がらないんです」。制作の大変さも、揚がらないもどかしさも、すべて凧が風に乗った瞬間に吹き飛ぶという。石川さんたちが、精魂こめて作る大凧。今年は相模原の新しい風に乗って一段と高く揚がるに違いない。





