広報さがみはら NO.1352 平成29年(2017年)1月1日号 4.5面 ---------- インタビュー 2020年の東京で輝きを! さがみはらから世界の舞台へ  2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向かって、本市ゆかりの選手・監督、それぞれの戦いがすでに始まっています。  「東京の舞台で結果を残す」。今回紹介する皆さんの共通の思いです。本市ゆかりのアスリートたちへ、皆さんの熱い声援を届けましょう。 ゴルフ 山口すず夏(か)さん 平成12年生まれ(16歳)。南区在住。中学校3年生(14歳)の時に全米女子オープンゴルフ選手権出場。14歳での出場は、日本人選手では最年少記録 まずはプロになる!  初めてゴルフボールを打ったのは小学校1年生のときでした。最初は空振りもいっぱいしましたが、うまくクラブに当たってボールが“ビュン”と飛んでいったときの気持ち良さが、今につながっていると思います。2年生の夏からは毎日のように練習をしていました。夕方からの打撃練習後、家でパターの練習を100球連続でカップインするまで続けるのですが、午前0時を過ぎても終わらないことがありました。でも上達する楽しさを実感しているせいなのか、これまで「練習が嫌だな」と思ったことはないですよ。  ゴルフの楽しさは、カップインした時の快感だけではありません。全国に友達ができることも楽しさの一つです。北海道から沖縄まで、仲の良い友達がたくさんいます。大阪や沖縄の友達とは試合の後にテーマパークに行き、前日36ホールを歩いたのに、開園から閉園までずっと遊んでいたこともあります。自分でも元気だなって思いますよ。  2015年に出場した全米女子オープンは、難しいコースとセッティングに思うようなプレーをさせてもらえず悔しい思いをしたので、なんとしてもまた出場したいです。外国人の友達がたくさんできたし、空港到着後には会場入りするために高級車を貸してもらえるのも楽しい経験でした。  こういった楽しさや喜びを何度も味わいたいので、一生懸命練習をしているのかもしれませんね。そして東京オリンピックへ出場し、金メダルを取りたいと考えています。そのためには、世界ランキングで上位に入る必要があるので、高校生のうちにプロの試合で優勝し、プロに転向したいです。市民の皆さんにもプロゴルファーの素晴らしいプレーを見ていただきたいので、市内や近郊で試合があるときは、観戦に来ていただけるとうれしいです。 女子サッカー 田中陽子さん 平成5年生まれ(23歳)。南区在住。2012年に日本で開催されたU−20女子ワールドカップでは、6ゴールを挙げる活躍で銅メダル獲得に貢献。ノジマステラ神奈川相模原所属。ポジションはミッドフィールダー 自分を支えてくれた人たちへの恩返し  昨年は、なでしこ2部リーグ優勝、1部リーグへの昇格を決めることができました。シーズン中、優勝が見えてきたころから、チーム全体の緊張している雰囲気が分かるようになってきました。試合中も焦りやプレッシャーなどを感じました。  そんな中でも、抜群のチームワークと、一人一人が体力を惜しまない全力のプレー、先制点を入れられても後半に走り勝ちして逆転できる粘り強さ、そして最後まで諦めない強い心で勝ち続けることができました。これがまさにステラの魅力ですね。  1部リーグでは、対戦相手の個々のレベルが上がるので、勝負を決める場面での質の高さが求められ、90分間集中して戦うことが大事になってきます。1部で良いプレーをしていくことが東京オリンピックへつながっていきます。オリンピックで活躍することは自分の大きな目標の一つでもあるので、ここで活躍する姿を今まで支えてくれた皆さんに見てもらうため、毎日の努力を積み重ねていきたいです。  練習、仕事と忙しい毎日なので、オフの日は温泉や岩盤浴に行くなどゆっくり過ごすことが多いですが、先日はチームメイトとバンジージャンプを体験しに行きました。練習場近くを流れる相模川の河川敷を散歩したり、相模大野のスーパーで買い物をしたりもしますよ。  今は、市民の皆さんに支えられ、良い環境でプレーをさせてもらっています。自分のプレーを見て楽しんでもらえるとうれしいですし、皆さんと一緒になって相模原市を盛り上げていきたいですね。 女子サッカー 高木ひかりさん 平成5年生まれ(23歳)。南区在住。今シーズン、新人ながらチームでは不動のセンターバックとして活躍し、なでしこジャパン(日本女子代表)へ初選出。ノジマステラ神奈川相模原所属。ポジションはディフェンダー もらったチャンスはモノにする  2002年の日韓ワールドカップの時、パブリックビューイングで日本代表の試合を見て、サッカーって楽しそうだなと思ったのがきっかけでサッカーを始めました。家族全員バレーボールをやっていたので、自分もバレーボールをやるのが当然の環境でしたが、親には許してもらいました。少年サッカーチームに入りましたが、女子は私だけで、男子に混ざってボールを蹴っていました。みんな、私のことを女の子と思っていなかったみたいですよ。  昨年このチームに入団し、2部リーグを無敗で優勝しました。来季から1部リーグでの戦いが始まりますが、2部での試合とは違い、負けることも多くなってくるでしょう。ステラは体の小さな選手が多いのですが、ディフェンスラインからボールをつなぎ、高い技術でしっかりと作り込んでいくサッカーをします。私たちのサッカーがどのくらい通用するのか、今からすごく楽しみです。  なでしこジャパンの練習に参加させてもらえるようになり、今はいろいろなものを吸収させてもらっています。自分にとってこれは大きなチャンスなので、もっとレベルアップして、日本代表として必要とされる選手になりたいと思います。東京オリンピックの時には、新しい国立競技場でプレーしている姿を見ていただきたいですね。  皆さんの声援が大きな力になっているので、リーグ戦や練習場で私たちのプレーする姿をたくさんの人たちに見てほしいです。チームが良い成績を上げれば、チームメートも日本代表に選ばれる機会が増えていきます。市民の皆さんに、東京オリンピックで活躍するたくさんのステラの選手を見てもらえるよう、頑張っていきます。 水泳・飛込 坂井 丞(しょう)さん 平成4年生まれ(24歳)。中央区在住。リオデジャネイロオリンピックでは、悲願のオリンピック初出場を果たす。ミキハウス所属 やまない歓声を聞き続けたい  両親が飛込競技のコーチだったこともあり、物心付いた時からプールにいました。実はサッカーもやりたかったんですが、家庭環境が許してくれませんでしたね。ロンドンオリンピックへ出られなかった悔しさもあり、リオデジャネイロオリンピックへの出場が決まった瞬間は、本当にうれしかった。悲願のオリンピックだったので、自分の中でオリンピックのイメージを大きく膨らませて現地入りしましたが、世界の舞台に慣れてしまっていたせいなのか、あまり“オリンピック感”を感じられなかったんです。だからわざと自分を緊張させてプレッシャーを与えていましたが、それが演技に悪い影響を与えてしまったようです。平常心でいるべきでした。でもこういう経験も次につなげていけると思っています。  リオが終わった後は、引退も考えました。でも子どもが生まれ、東京オリンピックで飛び込み台に立つ姿を見せたいという気持ちが出てきました。東京に照準を合わせ、とにかく細かい部分にこだわって、これ以上できないというところまで練習し、技術を上げていきたいです。  飛込競技を知らない人は多いし、競技人口もまだ少ないと思います。でも、演技を見てもらえれば、水しぶきの上がらないきれいな飛込に感動してもらえると思います。きれいな飛込ができた時の歓声は格別です。飛び込んで、水面へ上がってきた後もまだ歓声が続いている。そんな演技を皆さんに見せられるよう練習に励んでいこうと思っています。さがみはらグリーンプールで練習しているので、見学に来てもらえるとうれしいですね。 トライアスロン 井出樹里さん 昭和58年生まれ(33歳)。南区在住。北京オリンピックでアジア人初となる5位入賞を果たす。スポーツクラブNAS所属 思いやりを持って戦うこと  小さい頃からやっていた競泳を全てやり切り、限界を感じた高校3年生の時に引退しました。そのときは、胸にぽっかりと穴があいたような気がして、何か物足りなさを感じました。自分に何ができるかを考え、大学では水泳で培った心肺機能を生かせる陸上競技(長距離)を始めました。そこで、走力強化のために指導に来ていたトライアスロンナショナルチームのリーダーに「大学を卒業したらトライアスロンで俺と一緒にオリンピックを目指さないか」と声を掛けてもらったのが、競技と出会ったきっかけです。  トライアスロンは過酷な個人競技と思われがちですが、自転車では同じ集団の選手と協力して他の集団を引き離したり、追い付いていこうとしたり、仲間を思いやりながら協力して走るんです。個人競技では珍しいですよね。これがトライアスロンの魅力だと思います。  私の夢は8歳のころから変わっていません。それはオリンピックで1番になること。これまでお世話になった皆さんに、けがを乗り越えてより強くなった自分を東京の舞台で見てもらいたい。その姿を想像すると今は楽しみしかありません。  トライアスロンは、まだメジャースポーツではないかもしれませんが、皆さんがワクワクするような姿をオリンピックで見せられるよう練習を積んでいきたいです。相模原市に来て丸2年。練習環境の良さに惹(ひ)かれてこの地を選びました。水泳の練習はさがみはらグリーンプールでできますし、自転車の練習で青根へ行くこともあります。相模原で練習をさせてもらっていることへの感謝の気持ちを、皆さんに伝えられるような走りをしていきたいなと思っています。 車いすテニス 監督 中澤吉裕さん 昭和45年生まれ(46歳)。南区在住。パラリンピックでは、ロンドン大会で車いすテニスナショナルチームのコーチを、リオデジャネイロ大会では監督を務める アスリートスポーツとして  初めて車いすテニスの指導をしたのは、今から15年くらい前だったと思います。当時、世界で戦うために指導者を探していた選手と出会いました。その時の彼の鋭い眼光は、今も鮮明に覚えています。当時の私には車いすテニスの指導経験がなかったので、まずは障害を知り、体の動きが健常者と違うと理解することから始めました。彼はクァード(重度障害)の選手で握力がなく汗をかけない。最初は根性論を押し付け、彼とぶつかったこともありました。でも彼が全日本マスターズで優勝すると、その成果が認められ、ナショナルチームのコーチ、そしてリオパラリンピックでは監督としてこの世界に関わっていくことになりました。  関わった当初から、車いすテニスを「障害者スポーツ」ではなく「アスリートスポーツ」として引き上げていきたいという思いがありました。今はそのように評価されてきていると思います。車いすテニスはスピードもパワーもすごいですよ。見ていて本当に楽しめます。子どもたちが見れば、車いすの子は自分もあんなふうになりたいと思うでしょうし、車いすでない子にも「えっ、あんなこともできるの!?」と思わせる。この競技は子どもたちに夢を与えることができるんです。東京パラリンピックに向けて、すでに選手育成やチーム作りが始まっています。市民の皆さんがサポーターになって、車いすテニスを盛り上げていけるような仕組みづくりもしていきたいですね。いろいろなことを積み上げていけば、将来、相模原市からパラリンピック選手が出ることも夢ではないと思います。  メダルという結果も大切ですが、2020年が終わってもパラスポーツの盛り上がりが続いていくような取り組みをしていくことが大切です。私の役割はこれからが本番ですよ。 ---------- 2020年に向けて さがプロ2020の取り組みが進行中  市では平成26年1月に「2020東京五輪・さがみはらプロジェクト推進本部」(さがプロ2020)を設置しました。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功に向け、関係都市などとの連携・協力を進めます。また、スポーツ・文化の振興、魅力の発信などを通じて本市の発展を図るため、大会期間中だけでなく、大会終了後も持続可能な取り組みを積極的に行います。 ---------- Remember1964  1964年の東京オリンピックを振り返る  皆さんは知っていますか。1964年開催の東京オリンピックでは、相模湖がカヌー競技の会場だったことを。カヌー競技に出場する選手たちが相模湖に集まり、選手村も開設され、相模湖町全体がオリンピックに沸きました。 「あの時の感動をもう一度」 井草 浩さん〈緑区(旧相模湖町)在住〉  聖火リレーを走ったのは昭和39年10月8日、19歳の時でした。聖火を持って、県立相模湖漕艇(そうてい)場から小原宿本陣までの約2キロメートルを走りましたが、「聖火を持つ腕は下げるな」と言われていたので、走っている時もずっと緊張していました。  現在の相模湖総合事務所の場所にあったホテルと近くのユースホステルが選手村となり、外国人選手がたくさん来ていたのを覚えています。町も活気づいてとてもにぎやかでした。もう一度東京でオリンピックが開かれるとは思わなかったです。あの時の感動と興奮がよみがえってくるようです。 問い合わせ 広聴広報課 電話042−769−8200