広報さがみはら No.1301 平成26年(2014年)11月15日号 6、7面 ---------- 写真とともに振り返る相模原市の60年  昭和29年11月20日に人口約8万人でスタートした相模原市。現在では、人口70万人を超える大都市へと成長しました。  これまでの本市の成長の過程を、懐かしい写真とともに振り返ります。 01 カルピス食品工業(昭和36年)の写真 工場誘致条例制定 昭和30年7月 産業の中心が農業から工業へと移り始める中、本市では、工場誘致条例を定めて、積極的な工場誘致を進めました。   条例によって最初に進出を決定したのは、カルピス食品工業(現カルピス)でした。その後も、大規模な工場が次々に建設され、本市は国内有数の内陸工業都市へと発展しました。 02 聖火リレーのランナーたち(県立相模湖公園内)の写真 オリンピック東京大会カヌー競技を相模湖で開催 昭和39年10月  オリンピック東京大会では、県立相模湖漕艇(そうてい)場でカヌー競技が開催されました。常陸宮ご夫妻やオランダ王国王女も観戦に訪れました。市内(藤野町〜相模湖町)も聖火リレーのコースとなり、当時の相模湖町、藤野町の皆さんが聖火リレーに参加しました。 03 城山ダム建設前の荒川集落(昭和37年)の写真 城山ダムが完成し、津久井湖が誕生 昭和40年4月  県内の人口増加による水道水の確保や、工業用水などの需要に対応するため、城山ダムが建設されました。湖底に沈むことになった集落に住む人たちは、主に近隣市町へ移転しました。県の発展へ寄与することになった皆さんの思いは、今も「湖底のふるさと」に眠っているのでしょう。 04 建設中の相模湖IC(昭和39年)の写真と橋本相模原相開通を祝うバスの写真 中央道八王子IC(インターチェンジ)〜相模湖IC間が開通 昭和43年12月  中央道の開通は、人々の交流や物流などに、大きな変化をもたらしました。現在では、圏央道の開通により中央道・東名高速・関越道がつながり、広域交通網はますます充実してきています。    05 キャンプ淵野辺返還式(昭和49年)と返還前の米陸軍医療センター(昭和56年)の写真 基地の返還 昭和49年11月 キャンプ淵野辺 返還 56年 4月 米陸軍医療センター 返還  本市の発展が進むにつれ、基地の存在が都市計画上の大きな支障となってきました。こうした中、市は昭和46年6月に発足した市米軍基地返還促進等市民協議会などと共に、活発な返還運動を展開してきました。  キャンプ淵野辺・米陸軍医療センターが全面返還され、跡地には市立博物館や公園、学校などの公共施設の建設が進みました。また、今年9月に相模総合補給廠の一部が日本政府へ返還されました。 06 相模原市財政白書の写真 『相模原市財政白書(こども急増びんぼうはくしょ)』を発行 昭和50年3月  本市は成長を続け、昭和50年には市制施行当時の人口と比べ4.5倍の約37万7,000人になりました。そのため、学校や下水道などの生活に必要な施設整備が追い付かない状況でした。この白書は、市の財政の苦しさを広く国や県、市民へ訴えたものでした。 07 橋本・相模原・相模大野の写真 商業振興ビジョンを策定 昭和58年3月  21世紀を展望し、まちづくりと一体となった計画的な商業地づくりをめざして策定されました。この中で、橋本・相模原・相模大野の3つの地区を商業地の拠点とし、多核連携のまちづくりを進めることで、商業の活性化、利便性の高い快適な市民生活の実現をめざしてきました。 08 中核市相模原誕生式典の写真 中核市へ移行 平成15年4月  人口50万人を超えた相模原市。「中核市」への移行により、県から1,000を超える行政事務の移譲を受けました。これにより、きめ細かな行政サービスの提供が可能となりました。 相模原市の歴史年表 昭和 29年11 相模原市誕生 30年1月 相模湖町誕生 4月 城山町、津久井町誕生 7月 藤野町誕生 7月 工場誘致条例制定 32年1月 尾崎記念館(現尾崎咢堂(がくどう)記念館)が完成 33年8月 首都圏整備法による市街地開発区域第1号に指定 39年10月 オリンピック東京大会カヌー競技を相模湖で開催 40年4月 城山ダムが完成し、津久井湖が誕生 43年12月 中央道八王子IC〜相模湖IC間が開通 44年6月 皇太子殿下が城山ダムと城山発電所を視察 45年8月 東海大学付属相模高校野球部が甲子園で初優勝 12月 相原高校が全国高校駅伝大会で優勝 46年12月 石井家住宅(藤野町)が国の重要文化財に指定 47年5月 米軍戦車搬出阻止運動が起きる 11月 49年4月 第1回市民桜まつり開催 11月 キャンプ淵野辺が日本政府へ全面返還 50年3月 『相模原市財政白書(こども急増びんぼうはくしょ)』を発行 55年10月 JR横浜線市内全区間で複線化 56年4月 米陸軍医療センターが日本政府へ全面返還 58年3月 商業振興ビジョンを策定 8月 南合同庁舎(現南区合同庁舎)が完成 12月 陣馬山・相模湖周辺が県立自然公園に指定 60年10月 中国・無錫市と友好都市提携 62年11月 JAXAの研究施設が縁で、銀河連邦交流が始まる 63年7月 小倉橋のライトアップ(夏期)が始まる 平成 2年3月 京王相模原線が全線開通 3年4月 カナダ・トレイル市との友好都市提携(津久井町) 5月 カナダ・スカボロー市(現トロント市)との友好都市提携 5月 郷土資料館「ふじや」(現吉野宿ふじや)開館 4年10月 相模原麻溝公園・県立相模原公園で全国都市緑化かながわフェア(グリーンウェーブ・相模原,92)開催 10年9月 かながわ・ゆめ国体夏季大会開催 11年1月 田名向原遺跡が国の史跡に指定 12年4月 保健所を設置(保健所政令市へ移行)、市総合保健医療センター(ウェルネスさがみはら)オープン 15年4月 中核市へ移行 16年3月 新小倉橋が開通 11月 相模原市市制施行50周年 18年3月 相模原市・津久井町・相模湖町合併 19年3月 相模原市・城山町・藤野町合併 20年12月 市議会で「政令指定都市の実現に関する意見書」を議決 22年4月 全国で19番目の政令指定都市へ移行。緑・中央・南の3区を設置 11月 潤水都市さがみはらフェスタを初開催 23年3月 東日本大震災、災害対策本部会議を開催 24年2月 緑区イメージキャラクター「ミウル」をお披露目 6月 銀河連邦が6月13日を「はやぶさの日」に制定 8月 市ホームタウンチームを認定 25年3月 圏央道相模原愛川ICが開通 3月 緑区合同庁舎がオープン 9月 リニア中央新幹線・神奈川県駅が橋本駅付近と示される 26年4月 市マスコットキャラクターが「さがみん」に決定 6月 圏央道相模原愛川IC〜高尾山IC間が開通 9月 本市を中央会場とした九都県市合同防災訓練を実施 9月 相模総合補給廠の一部が日本政府へ返還 スマートフォンで動画を見よう! さがみはらの今昔写真をAR(拡張現実)で紹介します。 1 Appstoreか、Googleplayから「Aurasma」アプリをダウンロード(無料。通信料は自己負担)。アプリを起動します。 2 @左に5回スライド。A右下の「Skip」を選択し、B画面下部の  を選択。 3 マークを選択し、検索窓で「相模原今昔」と入力・検索。「相模原今昔」を選択し「Follow」「フォローする」を選択。 4 マークを選択し、下のの付近に画面をかざすと動画が再生します。 動画サイト「相模原動画チャンネル」  本市の昔の写真などを交えた動画を発信しています。市ホームページからご覧になれます。 問い合わせ 広聴広報課 電話042−769−8200