広報さがみはら No.1558 令和7年(2025年)8月1日号 2・3面 ---------- 戦後80年 平和への願い 第二次世界大戦の終結から今年で80年。当時を知る人が少なくなり、記憶の伝承が課題となっています。 今もなお、世界各地では争いが起こり、誰もが戦争と無関係ではいられません。特集では、平和のために活動している人やイベントを紹介します。 問い合わせ 国際課 電話042-707-1569 本市は核兵器のない平和な世界を目指す平和首長会議に加盟しています インタビュー 100歳の語り部 市民平和のつどい実行委員の大学生 語り継ぐ体験、受け継ぐ思い 平和のための活動を始めたきっかけ 西倉 保険の仕事をしていたんだけど、定年後に年金相談員として30年間、日本全国を飛び回って、たくさんの人に感謝されてね。そのかたわら、自分の体験を話すことがあった。そうしていたら10年ほど前に、新宿の平和祈念展示資料館でシベリア抑留体験の語り部(べ)をしてほしいと依頼された。自分でできることならなんでもするつもりで引き受けたよ。 吉田 祖母からシベリア抑留されたという祖母のおじの話を聞いていて、戦争の話に関心を持ち、映画鑑賞会で『はだしのゲン』を見たり、友人とイベントに参加したりしていました。市民まつりの原爆パネル展を見ていたときに、丸山さん(相模原原爆被災者の会会長。3面下部掲載の講演会にも参加)に声をかけてもらって、市内で開催している講演会や市民平和のつどいに参加するようになりました。 自分にとっての戦争 西倉 若いころは常にそういうもんだ(戦争に行くものだ)と覚悟していた。(国のために死ぬことが)当然と、そう教えられてたからね。だけど、あっちゃいけないものだよ。人が人を殺す。とんでもないことだよ。女性も子どもも死んでいく。なくさなくちゃいけない。 吉田 沖縄戦をテーマに、遺構見学や沖縄出身の学生との対話会などを企画・開催しています。この活動で韓国の大学生などとの交流も広がりました。他にはウクライナ侵攻を取材したジャーナリストの講演会を開催したり、パレスチナ問題の動画を鑑賞したり、留学生と話し合ったりなど。自分や周囲にとっては、過去に日本で起こった戦争より、今世界で起こっている戦争の方が、テレビなどで情報を得られる分、危機感があるかも。当時を知る人や報道などが少なくなり、80年前の戦争についてのリアルな声が遠のいてきていると感じます。 平和をつないでいくために 西倉 終戦のかなり後になってスターリンの極秘指令が公開された。すでに戦争は終わっているのに、コムソモリスク(現ロシア極東部)の建設現場(自分たちが連れていかれた場所)に、1万5,000人が連れていかれることが決定していた。当時現地にいた自分たちは何も分からないまま、国家にたくさんの人の運命が決められていた。個人が戦争をなくすなんて難しい。だけど自分ができることをやらなきゃ何も変わらない。声を上げずにいられないんだよ。戦争はだめだ、けしからんってね。国連、特に常任理事国がもっとしっかりしてほしい。 吉田 知ることが大事なのかなって思います。今の技術も使って、当時の写真などもどんどん共有していって。オンラインで交流もできるんじゃないかと。民間同士が交流を持って友達になることも重要だと思います。市内にも外国から来た人はたくさんいるけど、あまりスムーズに交流できてないなと感じます。知り合う場も作れればなと。 西倉 シベリア抑留中の話をするとき、ジャガイモのバター炒めをふるまってくれたママさんの話をいつもしている。国家が冷酷でも温かい人たちはいる。そこにこそ生きていることの幸せを思う。若い人にも知ってほしい。吉田さんのような若者がどんどん外国へ行くべきだよ。市民外交でね、からまった糸がほぐれることを祈っています。 吉田(よしだ)武人(たけと)さん(中央区在住・23歳) 令和4年から、市が主催する「市民平和のつどい実行委員」を務める。ジャーナリストを志し、国内の他大学だけでなく、韓国の大学生とも交流を広げ、ウクライナ侵攻や沖縄戦、朝鮮戦争等の幅広いテーマで講演会などを企画・開催している 西倉(にしくら)勝(まさる)さん(南区在住・100歳) 平成29年から、平和祈念展示資料館(新宿区西新宿)で、自身のシベリア抑留体験の語り部として活動。令和4年公開の映画『ラーゲリより愛を込めて』にもアドバイザーとして関わるなど、現在も自身の体験を伝える活動を続けている 西倉さんの戦争体験「シベリア抑留を生きぬいて」 ※市への寄稿を要約 シベリアに抑留された人は約60万人。3年から11年の抑留で、1割に上る約6万人が異国の地で命を落としました。 19歳で徴兵され戦争へ 昭和20年1月15日、故郷の新潟県で入隊し、月末には朝鮮北部へ。ソ連戦に備えた陣地作りも未完成のまま、8月には終戦を知らされ、銃や弾薬などを回収するため集まるよう言われました。従わねば射殺されるとうわさが飛び交い、死を覚悟して自決用の手榴弾(しゅりゅうだん)を胸に目的地へ向かいました。 仮収容所に約3週間滞在後、「帰国させる」と言われ、200kmの道のりを10日間野宿しながら行軍しました。到着後、貨車に乗せられ、北へ向かっていることが分かると、あちらこちらから悲鳴が上がりました。家畜同然に移送され、4日後に到着したのはシベリアでした。 ラーゲリ(収容所)での過酷な強制労働と市民とのふれあい 地面がコンクリートのように固く凍てつく寒さの中、銃を持った兵士に監視され、道路工事や農作業などに従事しました。眠るときは3人で1人1枚の毛布を重ねて温め合いました。食事は1日1食わずかな黒パンと具の少ないスープ、ノルマを達成できないとさらに減らされることも。寒さや飢え、過酷な肉体労働で皆衰弱していきました。自分も39度の高熱を出して倒れ、急性胸膜炎で半年近く野戦病院に入院しましたが、幸い一命を取り留めました。 温かなつながりもありました。市民宅に派遣されたとき、その家の女性がジャガイモのバター炒めを作ってくれました。それがおいしかったことが今でも忘れられません。 帰国を許されたのは昭和23年。3年7カ月ぶりに日本へ戻りました。 戦争の記憶に触れ、平和について考えてみませんか 戦後80年 江成常夫写真展 沈黙の伝言 市ゆかりの写真家の作品展です。 相模原駅改札から1分のギャラリーで写真鑑賞しませんか 沖縄戦の場となったガマ(洞窟)と原爆被害を受けた広島・長崎の被爆者などの写真約50点を展示 日時 8月2日(土曜日)から24日(日曜日)(水曜日を除く)午前10時から午後6時 会場 相模原市民ギャラリー 作品名『沖縄県庁壕』『谷口稜曄』 江成常夫さん(本市出身、写真家) 半世紀にわたり「負の昭和」をテーマに写真を撮り続ける。作品は国内外で高く評価され、市だけでなくアメリカの歴史博物館などにも収蔵されている 関連イベント ※希望者は直接会場へ 江成常夫さんのギャラリー・トーク 作品解説や込めた思い、制作時についてなどを語る 日時 8月9日(土曜日)午後2時から3時 フォトシティさがみはら25周年記念対談 市総合写真祭の創設当時から、江成常夫さんと共に尽力してきた伊藤俊治さん(東京芸術大学名誉教授)との対談 日時 8月24日(日曜日)午前10時30分から正午 詳しくは紙面の二次元コードから 問い合わせ 相模原市民ギャラリー 電話042-776-1262 市民平和のつどい 講演会 戦後80年 戦争体験・記憶の継承 今を生きる戦争体験者によるシベリア抑留や被爆の実相などについての講演 日時 8月30日(土曜日)午後2時から4時 会場 あじさい会館 定員 280人(申し込み順) 申し込み 8月5日から27日に、電話で市コールセンターへ 電話042-770-7777 講演者 西倉 勝さん(シベリア抑留体験の語り部) 丸山 進さん(相模原原爆被災者の会会長) など 相模原原爆被災者の会 令和6年にノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会の構成団体。被爆当事者の体験談など、平和のための活動に取り組む ヒロシマ「原爆の絵」展 被爆体験証言者と広島市立基町高校の生徒が共同制作した絵画(複製)を展示 日時 8月31日(日曜日)まで 会場 図書館(中央区) 被爆体験のお話 日時 8月13日(水曜日)午後3時30分から4時30分 会場 図書館(中央区) ※希望者は直接会場へ 核兵器と戦争に関する16の問い展 16の問いかけを通じて、核兵器のことを考えるポスターを展示 日時 8月2日(土曜日)から14日(木曜日) 会場 あじさい会館 本市は「核兵器廃絶平和都市宣言」都市として、さまざまな催しをしています。 詳しくは紙面の二次元コードから 平和・原爆ポスター展 昨年度の平和ポスターコンテスト入賞作品と平和を学ぶポスターを展示 日時 8月2日(土曜日)から24日(日曜日) 会場 相模原市民ギャラリー 平和を願って黙とうを 戦没者を追悼し、世界恒久平和を祈るため、1分間の黙とうをお願いします。 広島 日時 8月6日(水曜日)午前8時15分 長崎 日時 8月9日(土曜日)午前11時2分 終戦 日時 8月15日(金曜日)正午 問い合わせ 生活福祉課 電話042-851-3170 問い合わせ 国際課 電話042-707-1569 ---------- 相模原市PR動画 「はい。その答え 相模原で見つかりました。」 市シティプロモーションX(Twitter) 「相模原市シティプロモーション」@Sagamihara_PR アクセスしてね♪