いにしえの歴史に触れて~龍像寺を訪ねて~(吉冨明徳さん)

このページの情報をツイッターでツイートできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページ番号1011243  最終更新日 平成30年1月12日

印刷大きな文字で印刷

  • 龍像寺の写真
  • 徳本念仏塔の写真

好天に恵まれた1月下旬、曹洞宗の寺院「龍像寺」(中央区東淵野辺)を訪ねました。JR古淵駅より北西に約700メートル、龍像寺坂を境川方面に向かって南下し、左手の美しい板塀が目じるしです。
龍像寺は、南北朝時代、地頭の役職・淵辺義博(ふちべよしひろ)によって開創されたと伝えられる寺院。山門の正面には、木造の本堂、右手に客殿、左手に鐘楼、山手には六角堂の観音堂が建てられています。砂利を敷き詰めた境内には、庭園風の植栽と石灯篭・岩が見事に配置されています。
寺史等によると、かつて境川に住みついていた「大蛇」を淵辺義博が退治したところ、大蛇の体が「頭」、「胴」、「尾」の3つに切り落とされて飛散。このため、大蛇の怨霊を鎮めようと、頭が切り落とされた場所に「龍頭寺」、胴が落ちた場所に「龍像寺」、尾が落ちた場所に「龍尾寺」がそれぞれ建立されたと伝えられています。
その後、3つの寺は衰退・荒廃し、弘治2年(1556年)に、巨海和尚(こかいおしょう)により「龍像寺」が再興されたとのこと。この寺には、今も寺宝として「大蛇の骨片」と「矢じり」と伝わるものが保管されています。
境内には、市の登録文化財である「徳本念仏塔」があります。徳本は、江戸時代後期の浄土宗の僧。かつて伊豆・関東の各地において、人々に念仏の教えを広く伝えたとのことです。
念仏塔の側面には、「文政元年」(1818年)と「相州渕野辺邑(そうしゅうふちのべむら)徳本念仏講中」の銘が刻まれています。当時を伝える地域の念仏講や村の生活史を知る上でも、大変貴重な資料となっています。
(平成27年1月 26年度市民カメラマン 吉冨明徳さん)

このページに関するお問い合わせ

広聴広報課
住所:〒252-5277 中央区中央2-11-15 市役所本館3階
電話:042-769-8200 ファクス:042-753-7831
広聴広報課へのメールでのお問い合わせ専用フォーム